1.17に思う

 阪神淡路大震災から17年が経過した。当時、朝のテレビニュースで神戸上空からの映像が映し出されたが詳しい状況がわからないまま会社に出勤し、その日一日は移動のタクシーで聞いたラジオや昼食時の飲食店のテレビなどで刻々と判明していく状況をとぎれとぎれにしか知ることができなかった。その年の後半にウィンドウズ95が発売され、ようやくパソコンが誰でも使える機械になったがインターネットが普及するのはそれからしばらく後のことで、ケータイもまだ一般に普及する少し前でもちろんケータイメールもなかった。ラジオの価値を認識してさっそくその年に電車通勤時にもJ-WAVEが聴けるように薄型のAM/FM携帯ステレオラジオを購入したが、その後の数回の引っ越しでどこかにいってしまった。
 昨年の3月11日、震度6強の地震に襲われすぐに停電。光ケーブルの電話もパソコンも使えずケータイは不通。小雪舞う寒空のもと、安全な場所に移動したクルマの中でラジオを聞いてはじめておかれている状況を知ることができた。翌朝、停電がなおると同時にアマゾンでポータブルラジオを注文。2日後、いつもの市川からでなく大阪の配送センターからラジオが届いた時どれほど心強く思ったことか…。その後、他のエリア以上に計画停電を実施された時にこのラジオを重宝したことは言うまでもない。どれほど情報通信テクノロジーが進歩しようが電気が止まればただの箱。乾電池数本で聞けるラジオにはかなわないという現実を身を持って体験した。

 オフィシャルな情報が必ずしも正しくないと思い知らされた昨年だったが、年明け早々の鳥島沖地震以降、オフィシャルではないさまざまな方面で年内再度の巨大地震の可能性が指摘されている。
 地震発生の前に起こるさまざまな自然現象のことを“宏観異常現象”と言うらしい。地震雲もそのひとつだが、少しでもヘンな雲を見つけるとすべて地震雲に思えてしょーがない。ペットをはじめとした動物の異常行動もこの“宏観異常現象”に含まれるらしいが、3.11の時に室内のガラス戸が砕け散るまでいびきをかいて寝ていたゴンはあてにできない。最低限の備えをしつつ、普段通りの生活を送れることを祈るばかりだ。

 阪神淡路大震災、東日本大震災で犠牲になられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。