ケロヨン・ケロンパ・ケロリン

藤城清治美術館 五月晴れの気持ちの良い平日、那須の『藤城清治美術館』に行ってきた。平日のお昼時にもかかわらず来館者の多さに驚かされた。でも他の来館者を気にせず思う存分、藤城先生の作品を鑑賞することができた。
 創作活動70年を越える藤城先生の作品の軌跡を辿りつつ、近作である「風の又三郎」コーナーを何度も行き来し眺めてみたり、館内至るところにある映像と作品を融合させた仕掛けなどを楽しんだり…。3年前の震災で被害を受けた東北沿岸各地を描いた作品の前では特に長時間見入ってしまった。美術館の庭も素晴らしく四季の移ろいとともにその表情も変化するに違いない。違う季節に何度でも訪れてみたい、と強く感じた。

 ところで、同美術館の奥まった場所に「ケロヨン」コーナーがあり、「ケロヨン」が藤城先生によって創作されたキャラクターであるとはじめて知って驚いた。そして、懐かしいと感じつつ「ケロヨン」ってこんなだったっけ?という曖昧な記憶がアタマをよぎり…。展示されているいろいろな「ケロヨン」関連の展示や映像を観ているうちに「ケロヨン」という名前は知っていても実は「ケロヨン」を知らない、という事実に思い至り…。家に帰ってから「ケロヨン」をネットで復習することになってしまった。
 「ケロヨン」は昭和41年に開始された日テレ系の番組「木馬座アワー」(藤城先生プロデュース)で全国的に人気が爆発し、その後4年間くらいがテレビやミュージカルで活躍した絶頂期。同じ昭和41年にはビートルズが初来日し日本武道館でコンサートが開催されたが、同年12月に「ケロヨン」も同じ日本武道館で初公演を果たしている。私が生まれたのも昭和41年、記憶がなくても当然だ。いっぽう、同じ頃から薬局の店頭に製薬会社コーワのマスコットキャラクターの首の動くカエルの人形が置いてあり幼い頃よくさわった記憶がある。どうやら、そのカエルの人形を「ケロヨン」と間違って記憶していたようだ。このカエルのキャラクター、コーワのHPで調べたら昭和52年にケロちゃん・コロちゃんという名前がつけられるまで名前がなかったらしい。当時、このカエルのキャラクターを「ケロヨン」と呼んでいた子どもたちは多かったのではなかろうか。ほかにもケロンパ(=うつみ宮土理の愛称)、ケロリン(公衆浴場の湯桶に入った鎮痛薬の広告、映画「テルマエ・ロマエ」で再注目)と“ケロ”と名のつく言葉が当時多く…、「ケロヨン」と聞くとそれらの記憶が区別なくよみがえってしまう。でも「ケロヨン」の決めゼリフ、“ケ〜ロ、ヨ〜ン♪”や“バ、ハ、ハ〜イ♪”の記憶もかすかにあるようで…。とにもかくにもアイマイな懐かしさが呼び起された一にちとなった。

「ケロヨン・ケロンパ・ケロリン」への2件のフィードバック

  1. やはり同級生。気が合いますね。僕もカルピスの頃からこの世界観が好きです。北千束のアトリエでの個展に行ったことあります。作家の仕事場にある種の感動を覚えましたよ。

    1. SOHさま
      北千束の先生のアトリエの展示会行ったんですねー。中原街道をちょちょいとクルマ走らせれば近いもんねー。
      那須の美術館、ちょーおススメです。藤城先生ならではの遊び心ある演出が満載です。
      行く機会があったらこっちにもぜひ遊びに寄ってください!

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