鎌倉てくてく

19129707 心房細動カテーテルアブレーション術後6ヶ月ごとの定期検診で東京に行ってきた。今回で術後2年半が経過。過去の半年単位の期間に比べて直近の6ヶ月間は、心臓に違和感もなく今までで一番調子が良かった。定期検診でもそれを証明するようにまったく問題なし。次回は半年後の6月に定期検診の予定。主治医の先生によると定期検診は術後5年間は行うとのこと。私にとっては半年ごとに東京に行く理由ができ気分転換にもなりとてもベター。毎回、展覧会情報や行けず仕舞いだった場所にあしを運ぶなどホルター心電計の電極を胸に付けたまま楽しんでいる。

19120701 ということで今回はいざ鎌倉へ。キルト/アッサンブラージュ作家、林アメリーさんの展覧会『現代に甦る昔の着物-林アメリー作品展』を観てきた。アメリーさんは12年前に私のはじめての展示会で2人展というかたちでお世話になった方。アメリーさんのおかげで展示会も盛況のうちに終え、その後の道筋をつけるきっかけにもなった次第。会場は円覚寺のお隣にある北鎌倉古民家ミュージアム。北陸地方の江戸時代の古民家3軒分を移築したという雰囲気のある美術館はアメリーさんの作品世界にまさにピッタリ。展示室をすべて使って膨大な数の作品が展示されていた。私の好きなアイヌの意匠の作品も観ることができた。

葛原岡神社
葛原岡神社
 美術館を後にして事前に計画していた3カ所の寺社へ。まずは葛原岡神社をめざしてくてく開始。北鎌倉からずっと上りの坂道が続きはやくも汗だくに。ようやく到着した葛原岡神社。同神社は最近では特に縁結びのご利益で有名らしく、当初若い女性だらけでオッサンひとりでの参拝は居心地が悪いのでは…と想像していたが、平日ということもあってかさほど参拝客もおらず男性おひとりさまの参拝客もおりひと安心。鳥居わきの“魔去ル石”で素焼きの盃を割り、本殿を参拝し開運・昇運を祈願。せっかくなので“縁結び石”にも願掛けを…。

19120904 次に銭洗弁財天をめざしふたたびてくてく。北鎌倉からずっと上り坂が続いていたが今度は斜度のきつい下り坂の連続でふくらはぎが悲鳴をあげはじめる。
銭洗弁財天宇賀福神社
銭洗弁財天宇賀福神社
ほどなく弁財天に到着。正式名称は銭洗弁財天宇賀福神社。ザルとローソクと線香を受け取り作法を聞いて参拝ののち洞窟の中の銭洗弁財天へ。用意しておいた硬貨とお札を霊水で洗って用意しておいた紙に包んでお財布に。洗ったお金はすぐに使った方がご利益があるということで翌日までに有効に使うことに。何に使ったかは内緒…。

19120906 次に佐助稲荷神社をめざしてくてく再開。経路はほぼほぼ住宅地。観光客が行き交う中、住まわれてる方々の心情を考えつつてくてくしていくと連続する赤い鳥居の入り口に到着。幾重にも連なる赤い鳥居の先の神社に到着したが、11月の台風と大雨の被害で拝殿は新しく造成中、その奥の本殿は残念ながら通行止めで参拝できない状況になっていた。佐助稲荷神社は出世のご利益のほかペットに寄り添う神社とのことで、8月末に天国に旅立った愛猫ゴンと子どもの頃に飼っていた愛犬サスケの冥福を祈るため立ち寄る計画を立てていた。今でも匂いを伴って夢に出てくるゴンとサスケ。特に愛犬の名は“サスケ(佐助)”ですから。工事用のフェンス越しに拝殿に向かい参拝した。

19120901 ところで北鎌倉からグーグルマップのナビを頼っててくてく歩いてきたが、銭洗弁天から佐助稲荷に向かう際、ナビの指示が交番でいただいた観光案内地図と反対方向を指し示していて少し混乱。近くで客を募っていた人力車のお兄さんに恐縮しながら道を尋ねたらナビの示す道でも行けるが観光案内地図どおりに行った方が近いとのこと。そういえば北鎌倉から葛原岡神社に至る道もウェブで事前に学習した“ハイキングコース”なんて感じじゃなかったなぁ、と観光地図を眺めたらみごとナビに遠回りさせられていたことが判明。なんてことだ、とナビアプリを強制終了。

19120907 佐助稲荷を参拝したあと長谷寺までてくてく歩くことも考えたが、夕方が迫っていたので鎌倉駅まで歩き、小町通りを少し覗いてから江の電鎌倉駅へ。江ノ島で下車して暮れなずむ江ノ島をボーっと眺めるプランも時間切れで断念し、車窓の景色を眺めつつ藤沢まで乗車し小旅行は終了。やはり日暮れの早い冬場の半日での鎌倉散策は時間が少なくもったいないなぁ、また機会があったら来たいなぁ鎌倉、など電車の中で思いつつ今夜の宿へ。翌日以降、ふくらはぎを中心にかつてないほどの筋肉痛になったことは言うまでもない。