慢性心房細動のカテーテルアブレーション手術を受けてまる6年が経ちました。
術後5年の昨年6月の検査までは6ヶ月に一度の検査でしたが、今回は一年ぶりの検査となりました。胸部レントゲン・エコー検査、心電図検査、24時間ホルター心電計測検査です。結果はまったく問題なしで、念のため1年後に再度検診を受けることになりました。
これまでに数回単発的な再発がありましたが、いづれもご担当いただいている医師の指導のもと自然に収まりました。そしてここ一年はまったく心臓に不安を覚えることがありませんでした。
カテーテルアブレーションを受けてからこれまでを考えると、素人考えですが、アブレーション後の心筋が安定するまでは数年程度の時間がかかるのかなと実感しています。個人差はあるでしょうが、術後3、4年くらいは不安定な実感がありました。しかし、ここ2年くらいは不安を感じないくらい安定してます。
過去のブログでも書きましたが、心房細動を誘発する数ある要因のひとつとして“ノミの心臓”と“呑みの心臓”があると私は認識してます。前者は気にしすぎる神経質気質、後者は酒飲みです。
私に関しては、前者は年齢とともにズ太くなってきましたが、後者は禁酒とそのリバウンドの繰り返しをずっと続けています。
6年前のアブレーション直後に、久々に洞調律が戻った自分の心臓の鼓動を感じ感動したことを再度思い起こしつつ、あらためて気を引き締めたいと思っております。
『心房細動』のトピックへのアクセスを多くいただいてます。悩みを抱えた皆さまが、より良い状況になることを切に願っております。
我妻淳 拝
「心房細動」カテゴリーアーカイブ
ひさびさに上京
心房細動カテーテルアブレーション術後3年3ヶ月の検診に東京のクリニックに行ってきた。本来であれば6月上旬に行く予定だったが、新型コロナの感染が拡大していたので3ヶ月ほど予約をずらしていただいたのだ。
しかし7月、8月と都内の感染者数が増え続け、6月に行っておけば良かったと思うも時すでに遅し。エタノールを入れた携帯スプレーをポケットに決死の覚悟で電車に乗り込んだ。
なにを大げさに、と思われるかもしれないが地方に居住していると連日のニュースなどで都内は新型コロナでかなり危険という印象を植え付けさせられるのだ。
私の住む田舎では『東京に行ってきた』なんて言おうものなら半径5メートル以上、人々は私から離れるだろう。地方から見た東京は今やそんな具合なのだ。若いころ東京で生活していた私でも今や地方の思考回路に最適化されている。私だって東京から来たヒトと対する時は緊張するに違いない。
さて、ボンビー陶芸家は新幹線などを利用せず常に在来線を利用している。経由地の新宿駅を目指し宇都宮線を赤羽で下車し埼京線のホームへ。時間は金曜日のラッシュの時間帯ではない9時20分。エスカレーターを昇ってホームに到着したら…、なんということだろう、ホームに人があふれかえっていた! ソーシャルディスタンスという言葉が虚しくアタマの中でこだました。
混雑を避けるため各駅停車の電車に乗り込み、意地でも手すりにつかまらぬよう腰痛をこらえ立っていたが電車の揺れに耐え切れず観念して上部の手すりをつかんだ。
新宿駅で私鉄に乗り換えるため下車。駅構内のスタンドカフェに入る。注文待ちのヒトの列に加わった時にはソーシャルディスタンスという言葉はアタマの中で完全に崩壊した。
透明なアクリル樹脂のボードで仕切られた客席があいていたのでアイスコーヒーを飲みながらしばらく駅構内を観察。コロナ下とはいえ多くのヒトが行き交い、そこには日常の風景が広がっていた。
そう、これが現実なんだ。
連日の感染者数の発表、企業のテレワーク化、飲食店の営業自粛、夜の街問題うんぬんのマスコミの情報…。地方から見てるとコロナ下(禍)で都内はさぞかし人通りも減っているのかと思っていたがそんなことはなかった。
そりゃそうだ。みな日々の暮らしがあり生活の糧を得るために働いている。会社勤めのサラリーマンもテレワークで在宅勤務なんて全体から見たらほんの少しのことだろう。自営業者はどうか。給付金や補助金を利用してもそれは急場しのぎ。営業活動を継続しなければ未来はない。飲食業などなおさらだ。
など考えつつ、私鉄のすいた車両を選んで乗車しクリニックへ。
心臓のエコー検査のあと翌日まで24時間心電図を記録するするホルター心電計を装着してクリニックを後にする。
通常の定期検査の際は、たまにしかない上京の機会を利用して友人に会ったり美術館などへ立ち寄ったりしていたが今回はコロナ下。それに加え、当日は外に立っているだけで汗が滴り落ちるような36度の猛暑。すぐにでも宿泊するホテルに向かいたかったがチェックインは16時。時間つぶしとカラダを冷やすには映画館と思い人ごみを避け東京の郊外へ。
特に観たい映画はなかったが上映中の『糸』を鑑賞。『糸』、面白かった。やはり映画は脇役のキャスティングで質が変わるとも再認識。すっかりW主演の小松菜奈のファンになってしまった。
チェックインまでの時間を映画でつぶしたあと、ホテルに向かうため都心方面の電車に乗る。そこでもみながマスクを装着している以外は普段と変わらない風景があった。走る車中、目の前を小学校低学年と思われれる男の子3人が車内を横断していく。なんだかマスク姿が痛ましく感じてしまう。と同時にある違和感が胸に広がる…。
今朝は電車内で中高生も多く見かけた。夏休みが終わったので当然だ。でも大学生はどうだろう。いまだに在宅でテレ授業とニュースで聞いている。新入生にいたっては夢のキャンパスライフどころかキャンパスに一歩も入れてないらしい。ものすごい違和感と謎。なんなんだ。
翌日クリニックに行き、24時間の心電図の解析結果をもって主治医のドクターに診察を受け一切問題なしとの診断をいただいた。いつものことだが主治医の先生の顔を見るだけで心臓の調子が良くなる。次回は半年後の3月。半年後、コロナの状況はどうなっていることだろう。
病院を後にして新宿駅で立ち食い蕎麦を喰い今回はとっとと栃木へ帰った。しかし立ち食い蕎麦でさえもウマいな、東京は。
そして、駅構内のキオスクでは田舎で手に入らない国産のマスクがたくさん売られていた…。なんなんだ。
2011年に居住地の田舎が割を食った計画停電のことをふと思い出した。
鎌倉てくてく
心房細動カテーテルアブレーション術後6ヶ月ごとの定期検診で東京に行ってきた。今回で術後2年半が経過。過去の半年単位の期間に比べて直近の6ヶ月間は、心臓に違和感もなく今までで一番調子が良かった。定期検診でもそれを証明するようにまったく問題なし。次回は半年後の6月に定期検診の予定。主治医の先生によると定期検診は術後5年間は行うとのこと。私にとっては半年ごとに東京に行く理由ができ気分転換にもなりとてもベター。毎回、展覧会情報や行けず仕舞いだった場所にあしを運ぶなどホルター心電計の電極を胸に付けたまま楽しんでいる。
ということで今回はいざ鎌倉へ。キルト/アッサンブラージュ作家、林アメリーさんの展覧会『現代に甦る昔の着物-林アメリー作品展』を観てきた。アメリーさんは12年前に私のはじめての展示会で2人展というかたちでお世話になった方。アメリーさんのおかげで展示会も盛況のうちに終え、その後の道筋をつけるきっかけにもなった次第。会場は円覚寺のお隣にある北鎌倉古民家ミュージアム。北陸地方の江戸時代の古民家3軒分を移築したという雰囲気のある美術館はアメリーさんの作品世界にまさにピッタリ。展示室をすべて使って膨大な数の作品が展示されていた。私の好きなアイヌの意匠の作品も観ることができた。
美術館を後にして事前に計画していた3カ所の寺社へ。まずは葛原岡神社をめざしてくてく開始。北鎌倉からずっと上りの坂道が続きはやくも汗だくに。ようやく到着した葛原岡神社。同神社は最近では特に縁結びのご利益で有名らしく、当初若い女性だらけでオッサンひとりでの参拝は居心地が悪いのでは…と想像していたが、平日ということもあってかさほど参拝客もおらず男性おひとりさまの参拝客もおりひと安心。鳥居わきの“魔去ル石”で素焼きの盃を割り、本殿を参拝し開運・昇運を祈願。せっかくなので“縁結び石”にも願掛けを…。
次に銭洗弁財天をめざしふたたびてくてく。北鎌倉からずっと上り坂が続いていたが今度は斜度のきつい下り坂の連続でふくらはぎが悲鳴をあげはじめる。ほどなく弁財天に到着。正式名称は銭洗弁財天宇賀福神社。ザルとローソクと線香を受け取り作法を聞いて参拝ののち洞窟の中の銭洗弁財天へ。用意しておいた硬貨とお札を霊水で洗って用意しておいた紙に包んでお財布に。洗ったお金はすぐに使った方がご利益があるということで翌日までに有効に使うことに。何に使ったかは内緒…。
次に佐助稲荷神社をめざしてくてく再開。経路はほぼほぼ住宅地。観光客が行き交う中、住まわれてる方々の心情を考えつつてくてくしていくと連続する赤い鳥居の入り口に到着。幾重にも連なる赤い鳥居の先の神社に到着したが、11月の台風と大雨の被害で拝殿は新しく造成中、その奥の本殿は残念ながら通行止めで参拝できない状況になっていた。佐助稲荷神社は出世のご利益のほかペットに寄り添う神社とのことで、8月末に天国に旅立った愛猫ゴンと子どもの頃に飼っていた愛犬サスケの冥福を祈るため立ち寄る計画を立てていた。今でも匂いを伴って夢に出てくるゴンとサスケ。特に愛犬の名は“サスケ(佐助)”ですから。工事用のフェンス越しに拝殿に向かい参拝した。
ところで北鎌倉からグーグルマップのナビを頼っててくてく歩いてきたが、銭洗弁天から佐助稲荷に向かう際、ナビの指示が交番でいただいた観光案内地図と反対方向を指し示していて少し混乱。近くで客を募っていた人力車のお兄さんに恐縮しながら道を尋ねたらナビの示す道でも行けるが観光案内地図どおりに行った方が近いとのこと。そういえば北鎌倉から葛原岡神社に至る道もウェブで事前に学習した“ハイキングコース”なんて感じじゃなかったなぁ、と観光地図を眺めたらみごとナビに遠回りさせられていたことが判明。なんてことだ、とナビアプリを強制終了。
佐助稲荷を参拝したあと長谷寺までてくてく歩くことも考えたが、夕方が迫っていたので鎌倉駅まで歩き、小町通りを少し覗いてから江の電鎌倉駅へ。江ノ島で下車して暮れなずむ江ノ島をボーっと眺めるプランも時間切れで断念し、車窓の景色を眺めつつ藤沢まで乗車し小旅行は終了。やはり日暮れの早い冬場の半日での鎌倉散策は時間が少なくもったいないなぁ、また機会があったら来たいなぁ鎌倉、など電車の中で思いつつ今夜の宿へ。翌日以降、ふくらはぎを中心にかつてないほどの筋肉痛になったことは言うまでもない。
カテアブ術後24ヶ月検診
心房細動カテーテルアブレーション手術を受けて24ヶ月の検診に行ってきた。エコー検査、レントゲン、24時間のホルター心電計を装着しての検査の結果、問題なしだった。これまで2年のあいだ再発なしで経過している(昨年春、一瞬の再発(!?)があったが…)。
ところで、術後2年を経た今でも心臓内部では予後が進行形のことと実感することが多々ある。例えば心拍数。術後正常値よりかなり高くなっていた心拍数が2年を経てもいまだに変化している(徐々に数値が良い方向に推移)。心房細動の検索でこの投稿にたどりついた方は、弊ボンビー陶芸家ブログ“心房細動”カテゴリーの記事を時系列を追ってご覧ください。カテアブ関連の話題はここまで…。
さて、定期検診の際は久々に山をおりて都会の空気を吸うめったにない機会でもあるわけで…。今回も美術館をいくつかハシゴする予定だったが上京した日が梅雨入りと重なり、あいにくの雨と数メートル歩くだけで汗が噴き出すようなムシムシとした暑さに見舞われハシゴを断念。美術館は北の丸公園にある東京国立近代美術館工芸館のみ観覧してきた。
美術館観覧後、せっかくなので汗をかきかき20年ぶりくらいに北の丸公園を武道館など眺めつつ九段下方面に横断。その後、ひと駅地下鉄に乗り神保町へ。共栄堂でスマトラカレーを食べ書泉グランデで本を物色。アマゾンとは違う都会の本屋の魅力を再確認しつつ本を一冊購入し路地裏のミロンガ(喫茶店)へ。小一時間ほどタンゴが流れる昔と変わらぬ店内で汗を乾かしつつ珈琲を飲み本を読む。その後立川へ移動。立川の伊勢丹で開催中の催事(私の器が出品中)を覗いた後、エキュートで田舎では味わえない総菜などたっぷり買い込んでその晩の宿がある郊外の駅へ。このくらいの内容で都会の昼間の午後はあっという間に過ぎてしまう。
しかし、20年ぶりくらいに訪れた立川駅周辺の変貌ぶりには驚いた。以前やはり20年ぶりくらいに訪れて驚いた府中駅周辺と同様、商業施設が充実しヒトで溢れていた。郊外を結ぶ路線に乗るといまだに大規模宅地開発の現場を多く目にする。電車内の広告に目を向けると、どの路線でも新築マンションの広告だらけだ。
自宅に戻った晩、ネットニュースを閲覧していたら「子どもの10人に1人が東京の子」というニュース・トピックが目に飛び込んできた。全国の子どもの数が前年度より少なくなっているのに対し東京都だけが毎年、前年度を上回っており、その比率が先ほどのニューストピック通りになっているらしい。私の住む自治体をはじめ全国的に小・中学校の統廃合が進むなか、都内だけは逆の状況になっているようだ。昔から東京一極集中と言われていたが、近年よりその傾向が鮮明になってきていることを都内に出かけるたびに実感する。
都会の若者が田舎で就農するとメディアなどで好意的にとり上げられ、最近の若いヒトは田舎志向が強まっているのかな、などと思ってしまうがそのようなヒトはほんの一握りで昔からと同様、磁場に吸い寄せられるように若者が首都圏に移動しているのが実情なのだろう。
平日の日中に私の住んでいる自治体をクルマで走ると、もみじマーク(高齢運転者標識)のクルマが多く走っているが、20年もしないうちにもみじマークを付けたクルマの方が多くなるに違いない。もっともその頃には私もその中の一台になっているわけだが…。
カテアブ術後18ヶ月検診
心房細動カテーテルアブレーション術後18ヶ月の検診に行ってきました。心エコー、24時間ホルター心電計を装着する検査です。栃木の田舎から上京するボンビー陶芸家は都内のビジネスホテルに一泊します。今までの経過は当ブログの“心房細動”カテゴリーを時系列に沿ってお読み頂くとおわかりいただけると思います。
昨年(2017年)6月に心房細動カテーテルアブレーション手術を受けてから1年と半年、途中多少の波乱はありましたがお陰さまで今回の検査の結果、術後の経過は順調で問題なしと主治医の先生から言われました。次回は半年後の来年6月の検査となります。
さてさて以前の記事でも書きましたが、心房細動はノミの心臓と呑みの心臓の持ち主がなりやすいようです。ノミの心臓は今さら変えるのは難しいので鈍感力を少しでも鍛えていこうかと努力しているところです。対して呑みの方はここ最近、若干気が緩んできてしまっているので初心にかえり気を引き締めていこうと思ってます。など言いつつ、今回都内に一泊した夜は学生時代の友人たちとの忘年会で数軒の店をハシゴしたわけなのですが…。もちろん酒量は控えめに、です。
カテアブ術後15ヶ月検診
心房細動カテーテルアブレーション術後15ヶ月の検診に行ってきました。手術を受けて以降の経過は、術後6ヶ月検診まで順調に推移し処方されていた抗血液凝固剤リクシアナ錠の服用が終了しました。が、しかし今年3月中旬に心房細動の発作が起き、この発作はなぜか数日で消滅したのですが、それ以降念のためということでリクシアナ錠の処方が続いていました。当ブログのカテゴリー『心房細動』を時系列に沿ってお読み頂ければだいたいの経緯がわかると思います。
そして今回の検診の結果、まったく問題なしとのことでリクシアナ錠の服用も終了しました。術後9ヶ月半での発作に関しては定義づけが難しいとのことでしたが、まれにそのようなこともあるとのことでした。再発する場合は術後半年以内が多いようです。6月にあった12ヶ月検診までは何となく心臓にチクチクとした感覚などの違和感を感じていましたが、それ以降は再発したらまたカテーテルアブレーションを受ければいい、と開き直った心持ちで日々を過ごしていたらここ数ヶ月は違和感も感じなくなりすこぶる調子が良くなりました。
心房細動になる人の多くは飲酒家、かつ、ストレスをためがちで小さなことを気にしてしまう吞みの心臓、いや、ノミの心臓の持ち主が多いように思われます。もちろん私もそれに当てはまります。今さら性格を変えるのは難しいですが、不幸にも心房細動になってしまいカテーテルアブレーションを受けた人は“再発”に関してある程度開き直った方が良いかもしれません。飲酒の制限はもちろん必要です。心持ちの問題として、です。
さて、心房細動で一番怖いのは、心臓内の“左心耳”というところに血栓が出来やすくなり、それが脳に飛んで心原性の重篤な脳梗塞を起こしてしまうことです。左心耳は盲腸と同じように人間の進化のせいか退化のためかわかりませんが、存在する必要のない部位のようです。いちど心房細動にかかると多くの人は左心耳に出来る血栓のことを意識せざるをえません。2度3度とカテーテルアブレーションを受けた方ならなおさらでしょう。
私が心房細動を発症してカテアブを検討していた際にネットで知って連絡を取り知り合いにならせていただいた人でYさんという方がいます。これまで3度のカテーテルアブレーションを受けられたYさんが、先月、胸腔鏡手術で左心耳を切除されました。これで心原性の脳梗塞に関する心配がなくなったという訳です。気になる方は“ウルフ大塚手術”で検索してください。Yさんご自身のブログも検索上位に表示されると思います。
左心耳に対する予防医学的な観点からの知見・医療技術革新は今後も続いていくと思われます。心房細動経験者は今後ウォッチしていくべき必須項目になるかもしれません。
術後12ヶ月検診
心房細動カテーテルアブレーション術後12ヶ月検診に行ってきた。胸部レントゲンとエコー、24時間ホルター心電計でデータをとっての診断の結果…、経過良好で問題なし! 実は3月の中旬に一度再発しかかり昨年末に薬止めになっていた抗血液凝固剤(リクシアナ)の服用を再開しており、この先も念のため3ヶ月間服用を延長することになった。
24時間ホルター心電計を装着する検診の際は都内のホテルに宿泊している。この機会に今回はふたつの美術館をハシゴした。
まずは「出光美術館」。あと数日で終了するタイミングで企画展『宗磁 神秘のやきもの』を観覧できた。私の仕事の範ともなる北宗時代の磁器。高台裏などをのぞいて千年を隔てた作り手の感覚などが以前より想像でき楽しかった。昨年末にトーハクに行った際、東洋館が改装中で会えなかった同館所蔵の国重文指定『青磁輪花鉢』に思いもよらずここで再会できた。
2軒目は「すみだ北斎美術館」。こちらでは企画展『変幻自在!北斎のウォーターワールド』を観覧。『冨獄三十六景 神奈川沖浪裏』を描いたのが北斎70歳を過ぎてからと知り元気をもらう。墨で描いた“絵手本”の微細な描写に圧倒された。
夜は学生時代の友人5人で3軒をハシゴ。もちろんアルコールはセーブして最初の2軒はノンアルビール。3軒目でも許容範囲内での飲酒を♡。
3ヶ月後の9月の検診で抗血液凝固薬が薬止めになるよう飲食生活に気をつける所存。ここ数ヶ月、心臓に対してちょいと神経質になりすぎていたことも反省。
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-展示会のお知らせ-
『我妻 淳 作陶展』
7月3日(火)~7月17日(火)
益子・つかもと本店作家館ギャラリー
カテーテルアブレーション術後9ヶ月検診
術後9ヶ月検診に行ってきました。昨年の6月中旬に心房細動カテーテルアブレーション手術を受け、12月の6ヶ月検診でそれまで服用していた薬すべてが服用終了。今回はそれから3ヶ月後の検診でした。心電図検査もまったく問題がなく、先生からも順調に経過していると力強く言っていただきました。主治医の先生は、最近テレビなどのメディアに多数ご出演され通院を重ねるごとに待合室の患者さんの数が増える一方なのですが、きちんと時間をかけて患者に寄り添った診察をしてくださり心強い限りです。次回は6月に12ヶ月検診です。
6ヶ月検診
心房細動カテーテルアブレーション術後6ヶ月検診を泊まりがけで受けてきました。血液検査とエコー検査、それに24時間機器を装着しての心電図検査です。ホルター心電計を装着した日の夜に、胸に電極を付けたまま会社員時代の先輩たちと久々に飲み、セーブして飲むつもりが愉し過ぎていつの間にかたっぷり飲んでしまい…ハードコンディション下での測定となりましたが結果は良好、最後まで服用していた薬リクシアナ錠(抗血液凝固薬)も使わなくてよくなりました。
今後は経過が良好なことをいいことに元の飲酒量に戻らぬよう、カテーテルアブレーション手術を受けた時のことを忘れずに引き続き生活改善を意識していこうと思ってます。なにしろ心房細動は“再発”する可能性のある病気ですから…。
マグポップ原宿店
先日、心房細動の定期診察で上京したおりに原宿のマグカップ専門店『マグポップ原宿店』にご挨拶をかねて行ってきた。同店は「世界中の人々が、日本各地の美しい器に出会う場を創る」ことをコンセプトに今年7月下旬にオープンしたお店。マグカップの専門店は今までありそうでなかった業態で、顧客の約半数が海外からの観光客が占めているそうだ。私の青白磁のマグカップとフリーカップをお取り扱いいただいており、多数の器たちがこのお店から海外に旅立っている。
お店を経営する株式会社マグポップの塚松圭社長は、いくつもの企業でECビジネスによる新規事業を立ち上げられてきたいわばネットビジネスのプロ。しかし、あえて実店舗の運営に取り組んだのは、画像や映像では伝わりきれない日本の工芸品を実際に手に取ってほしいという思いからだ。既存のブランドの機械で大量生産された陶磁器製品ならいざ知らず、たとえば私の器にしても画像では伝えきれない手に取ってみなければ分からない実物の質感などが当然ある。このお店では日本全国の窯元や作家から直接仕入れた400種以上ものマグカップやフリーカップを実際に手に取って選ぶことが可能だ。
塚松社長は益子陶器市で私を発掘してくださったとのこと。その後、ご連絡をいただき経歴を拝見したところ、キャリアのスタートでプレジデント社で雑誌プレジデントの編集に携わられたことを知った。以前お世話になった那珂川町に在住されて5年前に亡くなられた元プレジデント誌編集長の樺島弘文氏は直属の上司だったとのお話しを聞いて、故人を介したご縁に深く感じ入ってしまった。
お店の名前は『マグポップ原宿店』。“原宿店”ということは、今後、原宿以外の場所でさらなる店舗展開もあるかもしれない。また、既にネットでの販売も開始されているが、物販以外の事業展開の可能性もあるかもしれない。いずれにせよご縁を感じつつ、今後もお付き合いいただいて私の器がこのお店からたくさん海外に旅立てれば幸いだ。原宿においでの際はぜひ同店にお立ち寄りを!